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写真1:学校等教育現場で行われるワークショップ型授業の企画・運営
ダンスで理科を学ぼう-1
小・中・高等学校などの学校等教育現場にアーティストが出向き、教諭、アーティスト、当団体が密接に連携して実施するワークショップ型授業の企画・運営を 行います。体育や音楽、総合的な学習の時間などを利用し、数日間の短期授業から数週間にわたる長期授業まで、教育現場に即したかたちで、子どもたちと芸術 との出会いをコーディネートします。

写真2: ダンスで理科を学ぼう-2

写真3:文化・教育施設等で行われる子どものためのワークショップの企画・運営
地域の児童館や文化施設、企業と連携し、子どものためのアートワークショップを企画・運営します。館や施設職員の方や地域の方とともに、さまざまな社会的課題に対してアートを通じたアプローチを行い、子どもたちの成長と地域文化の発展に貢献します。

写真4:シンポジウム風景
学校教職員、アーティスト、文化施設の教育普及担当者、NPO、学生、地域の方が話し合う機会を設け、参加者の皆さんとともにアートと教育の関わりについて意見交換や情報交換をする機会を創出します。

■はじめに

感性豊かな子に育って欲しいという想いは、子を持つ親であれば皆思うことです。そうした思いを実現するために、これまでも多くの教育関係者や研究者が関わり教育について論じられてきました。それでも、「最も小さな主権しかない統制された二つの場所は、刑務所と学校である。」と笑い話のネタにされているのが現状です。つまり、これまでの学校教育は日本に限らず統制が考え方の中心で、探求的でなく、教示的だという事です。日本の場合はそれに加え、自己主張をよしとせず、全体主義になりがちかも知れません。実際は、教員も学校のカリキュラム以外にも必要な情操教育があると分かっていても時間が足らないのが現状です。そうした、学校教育だけでは難しい「自分で考え創造する力」や「多様性を認める力」の学びへの取り組みについてどう捉えて行くべきかを考えていく必要があります。お話を伺った井手上さん(NPO法人子どもとアーティストの出会い 理事長)は、美術教員の経験を経て、そうした従来の学校教育だけでは難しい、情操教育にアートの手法を用い支援する新しい学びのスタイルに取り組まれている実践者です。今回は、「学ぶ」という事に中心に活動についてお話を伺いました。


活動の成り立ちと目標について教えて下さい。
私たちの活動は、近々に困っている人たちを救済するというものではありません。学校などの子どもが集まる場で、子どもたち自身をエンパワーメントし、様々なことを今ある状況から、もっと未来に向け改善していくための活動です。時々「セーフティーネット」としての使い方をしますが、子どもたちが、大変な状況に陥った時に何かの支えとなり、人とのつながりなど、自分自身の中に湧き起こってくる自信を持てるよう活動をしています。

そもそもの成り立ちなのですが、2003年にトヨタ自動車とNPO法人「芸術家と子どもたち」との共同企画で、「トヨタ・子どもとアーティストの出会い」というプロジェクトが立ち上りました。もともと、「芸術家と子どもたち」が学校に芸術家を派遣する活動を首都圏でやっていたのですけれど、なかなか首都圏以外に活動を広げていけず、逆にご依頼をいただいてもスタッフが東京在中の方ばかりなので、各地の学校へ出向する事が体力的にも困難になってきた事もあり、各地に拠点となる団体をつくって日本全国に拡げていきたいという話から始まったそうです。その最初の地として京都が選ばれたのです。

私は当時、美術教員をしていたのですが、大学を卒業した年に配属された学校が、いわゆる教育困難校だったのです。「子どもたちにアートの素晴らしさを伝えるのだ!」という勢いで臨んだものの、現実は45分間教室に居させる事、お菓子を食べていないか、授業をさぼって遊んでいないか、を見張っている警備員の様でした。あまりの現実とのギャップに疲弊され、アートがどうこうという以前に、もっと根本的な事を考えなければと思うようになっていたのです。それでも、「荒れている」と言われている子でも、自分の作品を「俺すごいやろう!」と、誇らしげで話しかけてくれる子もいたり、勉強は嫌いでも美術ならやるという子たちも中にはいたのです。他の数学や国語といった科目では難しいことも、感性に触れる美術やアートは、子どもたちの心に近い活動として突破口の一つになるのではないかということを、もう一度考えていました。

そうした時期に、自分が理想とした教育プログラムを実践しているNPO法人「芸術家と子どもたち」の活動を知った時期と「トヨタ・子どもとアーティストの出会いin京都」のプロジェクトが始まったタイミングが重なり、事務局へ参加したのがはじまりです。

このプロジェクト自体は2年間の限定事業だったのですが、大変好評を頂いていた事もあり、これからも京都で活動を続けていきたく、任意団体「子どもとアーティストの出会い」を立ち上げました。それから、3年ぐらい活動を続け、2008年には法人化をし、現在に至ります。

子どもたちが抱えている課題は地域により様々ですが、共通した課題を感じられますか。
やはり子どもたち同士の関係性が薄くなっていることですね。相手を思いやる力を欠いているとか、すぐにキレる子どもについて、マスコミでも言われていますが、実際に関係性を作るのが、あまり上手ではないなと思う子どもさんが多いです。まじめなのだけれども、なかなか他人のことまで想像して行動をすることが難しいです。あとは年代によりますが、友達の目をすごく意識して、友達に受け入れられる行動だったり、友達に「ウケる」と言われる行動をしてしまう子どもさんはすごく多いです。だからこそ、そういう状態をまずフラットにするためのワークショップや、一人一人にスポットを当てていく活動を大事にしています。

活動を通じてどのような変化がありましたか。
活動後に先生から伺った話では、あの子とあの子が一緒に何かしているのは初めてだったということや、普段はすごく授業ではおとなしくてクラスの中では目立たないのに、アーティストの授業では積極的にやっていたという話を伺います。アーティストが入ることによって膠着してしまっていた悪い意味での関係性を、いったん崩すことができているのと思っています。

ダンスのアーティストが半年間行った例では、最初は子どもたちがすごくギクシャクしていて、自分の意志ではなく、他の子を見て良いか悪いかを決めていたのですが、翌年に同じ活動をした時には、「それいいね、やってみようよ」と声の掛け合いを積極的に行うようになっていたのです。まず自分がいいと思ったら「いいよね」とか、何か問題が起こったら、みんなでどうしようかと考えるようになり、自主性や多様性を認める力の成長がすごくあったという声を頂いたこともあります。

活動を通じて考えられている、「学ぶ」という事について教えて下さい。
学校教育でいう「学ぶ」とわたしたちが考える「学ぶ」は若干ずれがあります。学校教育では、何かを覚え、知識として理解し、それを自分なりに活用することです。わたしたちが考えている、学ぶという事は自発的な事です。正解がないものに対して自分なりの解答を導き出せる事や、正解と言われていることに、違う見方があるのではないかと思う姿勢を育てる事です。あるいは、もう少し違う見方をしている人に対して、「それは間違っているよ、けれども君がなぜそういうふうに考えたのかを知りたい。」とか、そういう多様性を認める力や、自分なりの考え方を持てるように力を養いたいと思っています。学ぶということは、やはり知識の習得で、それによって自分のやりたいことをなすための土壌ですが、そこに至るプロセスの部分が学校教育とは大きく違っています。それは、学校教育と相反する考え方ではないので、お互い協力しながら補完することで、学ぶということが大きく発展していくと考えています。

その考え方を実現させている事業内容について教えて下さい。
具体的には三つあります。一つは学校に対して出前授業、アーティストのワークショップを行うという授業です。これは、1日から半年まで授業に合わせて臨機応変にやっています。(写真1,2)二つ目は、いわゆる子ども向けのワークショップの企画で、美術館やホールでのワークショップの企画です。(写真3)三つ目は、大人に対するプロジェクトで、学校の先生とかアーティスト、こういう活動に関心がある会社員の方たちを対象にして研究会をしたり、シンポジウムを開いたりしています。(写真4)小さい研究会に関してはこの場所で毎月5、6人集まって夜にやっていています。シンポジウムはどこか別に会場をお借りして年に1回の規模でやっています。

プログラムの要望は依頼者から頂くのですか。
そうですね。やはり何か美術系のことで絵を描きたいだとか、体育祭でダンスを作りたいとか、具体的なご依頼が来ることが多いです。わたしたちのコーディネートとしては、最初に学校の中で何が課題となっていて、今どういう状況でそれをどうしたいのかという事をヒアリングします。その上で、それであれば絵ではなくても、コミュニケーションだったら体と体を合わせるようにダンスがいいかも知れません。という話をさせていただきます。最初のご依頼は絵だったけれどもダンスにしたりとか、もちろんその逆もあります。みんなでやる活動はすごく多いのだけれども、逆に一人一人が必死に何かをやるということが少ないということであれば、造形作家を入れて本当に心行くまで物を造る活動をしましょうと提案していきます。

実際行われた活動例について教えて下さい。
例えばこれは、期間工のブラジル人の方が多く住んでいる地域と、高所得者向けの住宅が混在しているエリアでのプログラムです。その全く正反対の地域は校区が一緒で、教室の中に高いヒエラルキーがありました。人種的な問題、言葉が通じないということもあります。その分断されている関係を、アートを用いたワークショップでフラットな関係にしようと、保護者参観日に行いました。子どもたちが占い師になり、その中にはポルトガル語ができるブラジル人の児童がまじっています。、保護者参観で来られた親御さんに「あなたの将来を占います。」「今の悩みをわたしが占いで解決します!」など、話しかけます。占い師役の子は、ブラジル人のお母さんと言葉が通じないのですが、「あなたの失くしたものはきっとタンスの中にあります。」といった、占いの結果をブラジル人の子どもが通訳します。日本語が上手くないということだけで、クラスの中でのびのびできていなかった子どもも、自分にない力や相手を認める事など多様性が高める手法によって、クラスの関係性を変える取り組みです。

美術授業の評価基準が不明確に感じているのですが、学校プログラムへ取り込むにあたり、こうした活動において評価基準はどのように扱われていますか。
評価の問題はすごく難しい問題で、定期的に行っている勉強会でも頻繁に取り上げられています。学校の先生が美術とか音楽の時間に何を見ているのですかという話を良くします。きちんと先生の話を聞いているとか、美術であれば彫刻刀を正しく使っているとか。自発的にきちんと美術を習得しようとしているということで、作品に対しての評価というのはないのです。技術的な事に終始されるので、それだけを評価にしてしまうとこぼれ落ちるものがたくさんあります。ですので、そこをどうしてくかという議論になります。他の団体では、アーティストと子どもたちが、アイデアのやり取りをする際の挙手の回数で評価をしている先生もいます。しかし、手を挙げて一生懸命にアイデアを言っている子だけでなく、みんなの意見を聞いて、じゃあ自分だったらどうするかということを一生懸命に考えて、授業が終わった後に、こっそりアーティストに言いに行く子もいます。じゃあその子は評価されないのか、対象にはならないのかという話になります。ですので、実際に取り入れられる授業としては、総合学習とかの評価軸が、そもそも曖昧な授業のほうが多いですね。

活動をより広く認知してもらう為には学術的に、活動による効果の分析と実証が求められると思いますが、どの様な事に取り組まれていますか。
一元的に言うことは非常に難しい課題だと思います。例えば、私たちが取り組んでいるプログラムで「ダンスで理科を学ぼう」(写真1,2)というのがあります。理科が本当に嫌いで椅子に座っているのが耐えられないような子どもたちに、理科を楽しく学べるためにダンスを取り入れたプログラムです。例えば「メダカの観察」というテーマであれば、メダカがどのようにしてターンをするのか、どのようにして餌を食べるのか、寝る時はどうしているのかなどを徹底的に観察して貰い、最後はメダカになって創作ダンスを発表して貰います。そうすると、子どもたちは休み時間も、朝も、放課後もずっとメダカに張り付いて、メダカの生態、形を全部観察して、それをグループで話し合いをします。観察の間に卵を産んだり、稚魚が孵化するなど、その変化も楽しみ、それをテーマにする子どもたちも出て来ます。そうして最後には、卵から誕生、成魚になって卵を産むという壮大なストーリーが最後には出来あがり大会で発表したことがあります。

このプログラムは、最初から子どもがアートによってどう変化するかというものを検証したかったので、千葉大学の教育学部と一緒に検証チームを作りました。ある程度まではそういう活動に関して検証はできるのですが、これだけを授業として取り組んでいるわけではないので他との比較ができません。比較対象として前年度からの学力の変化も見ましたが、理科の授業数をかなり増やしているため、単に授業数に比例して理解が深まったという見方もできてしまうため、テストの平均点が上がったという効果もありましたが学術的には難しいものがあります。結局、学力論ではなくて身体論に最後はシフトをし、論文に仕上げていました。

他には、「TOA Music Workshop」では、アンケート調査を始めました。体験前・体験後で「自分を表現することが好きだ」と答えた子どもが13ポイントアップしています。「苦手な友達ともかかわろうとしている」の答えが実施前と実施後で「はい」と答えた人の数が5ポイントアップしていいて、これは顕著に出て来た数字です。これで効果について一つ言えるかなということです。

音楽とダンスのワークショップだったのですが、自由記述のアンケートの言葉を分析した結果、沢山出てくる言葉は「楽しい」、「踊る」、「みんな」「友達」とかポジティブな言葉や自分の身体にかかわる言葉がすごく多い事が分かりました。「できる」、「楽しむ」、「好き」とか「一緒」、「面白い」、「ノリノリ」、「元気」などの言葉がたくさん出てきましたので、このプログラムとしてはそういう効果があるというふうに言っていいのではないかという仮説を出しました。

体験後、とてもポジティブな気持ちへの変化が目立ちますが、原因は何でしょうか。
こうした機会が、なかなかないということが一つです。それと、学校では「きちんと、うまく、きれいに」ということが評価になっている為、例えば作文をうまく書くとかスピーチが上手にできるとか、笛のテストできちんと間違わずに吹けるとか、そういうことが表現だと思っている子どもが多いです。でも、そういう事は、上手に出来ないから嫌だとなっている子も、アーティストのワークショップには正解がないので、自由に表現する事ができます。リズムから外れていても、ノリノリで踊っていてもそれはありだし、逆にリズムをしっかりとキープしてステップを間違えずに踏むのも表現です。そうした事をメッセージとしてかなり強く出しています。子どもたちが、自分の好きなスタイルを表現と言っていいと思う心の変化によって、ポジティブになっていると考えられます。

今後の活動と目標について教えてください。
私たちの取り組んでいるこうした活動をさらに広げていく事です。現在は、「トヨタ・子どもとアーティストの出会い」のプログラムによって、全国10カ所程度まで広がりましたが、まだまだ十分とは言えません。学校の先生へ活動をお話しても初めて知ったという方がほとんどですし、学校の教職員研修に取り入れられることも少ないです。演劇分野は浸透して発達しましたが、演劇以外のダンス、音楽、美術は、いわゆる従来の芸術教育の枠組みから抜け出せず、アーティストのプログラムに対して理解や認知がすごく低い状態です。そうした現状を打開し浸透させていきたいです。将来的には、コーディネーターが全国各所に十分な人数が配所される事により、先生が授業にアーティストを入れると生まれる可能性を感じたときに、気軽に呼べる状態までしていきたいです。

現状は、せっかくお声がけ頂いても、お金を集めて体制を整えてという過程に1年ぐらいかかってしまいます。そうこう準備している間にも、子どもたちの状況は常に変化していきます。そうした、どうしても後手後手にならざるを得ない状況や、回数も限られているという状況を打破していくのが、中長期的な目標の一つです。

今取り組んでいる、TOA Music Workshopは、その突破口の一つになるかなと思っています。これまでは関西の2校、3校でやっていたのですが、2011年度は全国7カ所で展開しました。このようなスキームを他のプログラムにも適用させ、まずは知って貰う機会を増やし 認知度を上げていきます。その後、先生が自分なりの授業をもっともっと豊かにしていく手段として、アーティストを気軽に呼べるような仕組みづくりをしたいと思っています。

それと、コーディネートの仕事をもう少し気軽な形で参加しやすくする仕組みも必要だと思っています。例えば、チェックリストを埋めていくだけで実施できるように組んだプログラムのパッケージ化です。TOA Music Workshopのようにシステム化したプログラムがあと幾つか必要だと思っています。ゼロから作り上げる事は、やはり専門職でないと難しく全国各地に配置するといっても限られてきます。そうした時に、ある程度の実施経験を積んで頂く事で、コーディネート出来るような仕組みが出来れば、PTAで子育てが落ち着かれた親御さんでも出来るかも知れませんし、教員を引退された先生、将来学校の先生やアーティストになりたいと思っている学生さんでもいいかもしれません。そういう興味を持って頂いた方々が、もっと参加しやすい仕組みをつくりたいと思っています。


■  編集あとがき
お話を伺っていて感じたのは、学ぶというのは可能性への畏敬だと言うことです。人は学びを通して新たな発見を追究していきます。子どもたちは、アーティストとの出会いとその経験によって「責任への自覚」や「変化の許容」を感じています。中でも大事なのは、グループで学ぶという事です。主体的な意見を発信し、その意見を共有する、極めて民主主義的に自発的で社会的な学びが得られます。こうした数値化できない情感への教育をどう定量的に掲示するかは課題は残っていますが、同時に、自己主張がキチンとできる若者を受け入れられる社会になっているのかについても問い直さなければなりません。子どもと大人の知識と文化が豊かに編み込まれる事で、アーティストにとっても気付きと学びに繋がっている様に、子どもたちを次世代の担い手として、街全体が支えていく社会にしていく必要があると感じています。(取材:スズキタツヤ)
 
(了)

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